「水系基盤による近代京都の都市形成に関する研究」 田中 尚人

  京都大学 博士(工学)論文  平成14年1月23日授与

 土木計画学における超長期的かつ多面的プロジェクト事後評価,ならびに景観デザイン学における文化記号論的評価において,国土史・都市史的アプローチの有効性が認識されつつある.本論文は,河川や運河などの水系基盤が近代京都の都市形成に及ぼした影響を,記録文献,技術資料,諸統計,図面,写真,絵図などの分析,フィールド・サーベイに基づき明らかにするものであり,論文は以下の6つの章からなっている.

 第1章は序論であり,本研究の背景と既往研究を整理し,研究の目的,研究の構成を示している.

 第2章では,京都の水系基盤の原型として,人々が近世以前から身近な自然の流れに手を加え,都市内に巧みに導き利用してきた伝統的な水辺の形成過程や空間ディテールの特徴を考察している.鴨川沿川や白川扇状地である鴨東の地では治水機能,京都と伏見を結んだ高瀬川沿川では舟運機能を主としながら,機能性とアメニティを共存させた都市形成が見られたことを実証している.また,伏見が城下町から港湾都市へと変容する際には,水系基盤が橋詰空間を中心に都市の機能と賑わいを演出したことを指摘している.以上の知見に基づき,水系基盤の持つ都市的な機能として,空間的に都市域を秩序化する機能,水位調節により都市生活を支える治水・環境機能,交通輸送基盤としての舟運機能を総括したうえ,近世では水系が上記のような都市基盤機能を担うだけでなく,水辺に立地した都市アメニティ施設を通して人々の精神生活や文化形成にも深い影響を与え,都市経営,都市戦略の主軸であったと結論付けている.

 第3章では,都市京都の近代化の推進力となった琵琶湖疏水を主対象として,水系基盤の近代化の過程を明らかにしている.近代化を経た水系基盤には,舟運以外にも,治水,発電,灌漑,上下水道,防災用水,アメニティ形成など多岐にわたる機能が付加され,効用がより多角化したことを琵琶湖疏水路線代替案のプロジェクト評価的分析により実証している.また京都における明治期三大事業が第二琵琶湖疏水を主軸としながらも,その効用は,電気事業,街路拡築・電気軌道整備,上水道敷設など,水辺からは乖離し,広域化した実態を明らかにしている.

 第4章では,近世以来水辺を基軸として発展してきた京都の都市形成が,水系基盤の近代化とともに如何なる展開を見せたのかを整理し,近世・近代それぞれの水系基盤が果たした役割について分析している.岡崎地区では,鴨東運河の挿入が都市空間秩序の形成を担った他,遊船,電気軌道の敷設などの面で都市的な集客の基盤となり文化中枢地区が形成された.祇園白川地区では,近世以来白川により提供されてきた治水機能とアメニティが,琵琶湖疏水の挿入により治水機能が分担され一層安定し,白川は都市アメニティ提供の場として活かされ,近世型盛り場が継承・発展した.また,鴨川の辺で洗練された納涼床の文化は,近代化を経ても,治水・利水・親水を兼ね備えたみそそぎ川の開削により継承された.これら3つの事例を通して,近世以来水辺が有してきた機能性とアメニティの両立が近代水系基盤設計においても発展的に継承され,文化基盤としてのインフラストラクチャーの設計思想が存続したことを実証している.一方,鴨川沿川及び伏見地区では,高瀬川と琵琶湖疏水(鴨川運河)との舟運機能,沿川都市施設形成,社会的要請を比較・分析し,都市形成に対する役割の転換を実証し,近代舟運が工業物資やエネルギーの輸送など工業基盤的役割を果たす傾向を辿ったと指摘している.

 第5章では,近代化以降水系基盤が都市形成において果たしてきた役割を総括し,近世における役割との相違点について分析している.水系基盤の波及効果が単に水辺に留まらず都市全域に拡がったことを水力発電による電気事業を通して例証し,水系基盤が電気という媒体を通して人々の近代的時空間感覚を切り拓いたことを明らかにしている.また,伏見の水辺において,水系基盤により保持されてきた都市機能や賑わいが鉄道駅周辺へと移行し,水系基盤はその工業基盤的機能面が卓越するようになった結果,都市アメニティを享受する場としての水辺が散漫になったと指摘している.

 第6章は結論であり,本論文で得られた研究成果を要約し,京都の都市史のなかで,機能性とアメニティを両立する水系基盤の伝統を実証することにより,都市文化基盤としての水系の重要性を総括的に論証している.