2009年2月
title/「責任」と「無責任」
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いきなりですが、ちょっと掛け算を思い浮かべてみると、
「偶数」×(偶数)=「偶数」
「偶数」×(奇数)=「偶数」
「奇数」×(偶数)=「偶数」
「奇数」×(奇数)=「奇数」
のように、掛け算で「奇数」になる割合は低い。
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3年前、始めて“研究室”というところに入り、現在まで色々な経験をしてきた。
振り返ってみると、2人の恩師から様々なことを教えて頂いたと同時に、かなり
の回数怒られた記憶がある。
自分に何が足りなかったのだろうかと思い返してみると、「責任」と「無責任」
という言葉にどうやら何かがありそうだと感じた。
「責任」という言葉は、修士2年になって特に身近に感じる言葉だった。
研究室、プロジェクト、KL2・・・など、いろんな場面で考えさせられた。
「責任」ある行動をとろう。
としていたけれども、結果として「無責任」な行動だったということが度々あった。
結局は「責任」の意味を理解していなかったんだと思う。
このことをもとに、さっきの掛け算を応用して式を立ててみた。
「責任」×(理解している)=「責任」ある行動
「責任」×(理解していない)=「無責任」な行動
「無責任」×(理解している)=「無責任」な行動
「無責任」×(理解していない)=「無責任」な行動
下の2式はそもそも問題外だけど、「責任」ある行動か否かは、意識と結果の間にある
(理解している/理解していない)で決まるように思う。
ごくごく当たり前のことを言っているけど、掛け算で考えてみると間が結果を左右する
ということが、ちょっと違った角度から見えた気がする。
2人の恩師から「責任」とはこういうもの。と教えていただいたけれど、
結局、まだ自分なりの「責任」という言葉の定義ができていない。
でも、何か見えそうな気がしている。
なんでこんなところでこういう話をしているかというと、自分の失敗と考えを
“研究室”に残しておきたいと思ったから。
“研究室”に限らず、何かの集団に属していれば、個人の勝手な行動は許されない。
なんか、修士2年になって“研究室”の雰囲気を感じ取れるようになってそう思う。
これからの星野研の学生には、「責任」は掛け算のように、間に入るもので結果が
「無責任」に簡単に変わるという事を、頭の片隅にでも置いてて欲しいと思う。
なんだか説教っぽくなったけど、三角港の良い風景で中和ということで。
この写真を撮った4年生の時から、今はどれだけ成長したんだろう。と思う。
photo&text/Hiroyuki TOYAMA